浅川の花火について

浅川の花火は、毎年お盆の8月16日に開催されます。浅川の花火、その起源は諸説が伝えられていますが、諸説を特定することはできません。一説によれば、江戸時代中期からはじまったとされ300有余年の歴史があり、福島県内最古の伝統を持つ花火大会と言われています。浅川の花火は、寺花火とも言われており、古くから僧侶による供養が行われていました。現在でも花火打ち上げの前には、花火起源の一つである一揆騒動説の首謀者が処刑された「弘法山公園」において、神仏混交の慰霊祭が粛々と執り行われ、この地で起こった一揆騒動の犠牲者や古くは戊辰戦争、日清、日露、太平洋戦争の戦没者の供養を行っています。

浅川の花火を主催するのは、町の市街地を二分する荒町、本町の両町青年会の若者であり、浅川の花火では、「早打ち」などの打ち上げを行うほか、慰霊祭も挙行しこの歴史ある町の伝統行事を継承しています。

浅川の花火では、趣向を凝らした大小数千発の打ち上げ花火が夜空を彩ります。なかでも浅川の花火の呼び物となっているのが、「大からくり」や「地雷火」です。浅川町内を見下ろす城山の山肌で炸裂する「地雷火」は迫力満点、浅川の花火のクライマックスを飾ります。他所では見られない「地雷火」、この城山での光景を一目見ようと毎年、町内外から3万人以上もの見物客が訪れます。

また、毎年元旦の午前0時より、除夜の花火と称して慰霊花火108発が打上げられます。冬の花火は夏の花火とは違った趣があり、一年の計を占い元朝参りの人々が祈りを捧げます。